トルコ やっと行けた! 2002年

イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→イズミール→チャナッカレ→イスタンブール

2002年 8月29日~9月 7日

昨年(2001年)米国同時テロの影響で行けなかったトルコへ、やっと行けます

 昨年予定していたトルコ旅行が、同時テロ事件のため外務省の観光中止勧告に基づいてツアー中止となり、仕方なく中国へ行きましたが(中国も良かったですけどね)、今年はやっとトルコに行けました

自宅→福岡空港→関西空港→イスタンブール

2002年 8月29日(木)

朝5時。乗り合いタクシーで福岡空港へ

 今年5月に山口へ転勤で引越し、関空までの交通手段を色々検討した結果。乗り合いタクシーで福岡空港まで行って、そこから関空まで飛行機で行けば時間的に間に合う
 乗り合いタクシーは、飛行機の時間に合わせて出発してくれると言うので、福岡空港8時25分のJALに乗るためには、5時に迎えに来てくれるとのこと    早起きは苦にならない年齢になってきているので、何時でもOK。5時に迎えに来てもらい真っ暗な中でワ ゴン車タイプのタクシーに乗り込む。途中で、もう一人女子大生の人を迎えに寄り、中国自動車道を一路福岡へ
 この人は、山口に留学していたオーストラリアの子の家に短期ホームステイするとのこと。出身が大分県でHの出身地である宮崎県の隣と言うことで、Hと話が盛り上がっている  福岡空港で旅行代理店の方に、全行程の空港税を払い、関空までのチケットをもらって、関空へ飛ぶ

ちょっとやばいトルコ航空でイスタンブールへ

 関空の旅行会社カウンタで全行程の航空券をもらう。このツアーの参加者数を聞くと、われわれを含めて4人とのこと、ゆったりとした旅行になりそうでラッキー
 関空の利用料金は事前に払うシステムに変わったので、入場券を買う必要は無くなって便利

 いよいよトルコ航空に乗って、日本を飛び立つ
 ちなみに、関空からイスタンブールへの直行便は、その後無くなっている。直行便のある時期で良かった
   
 出てきた食事には、「豚肉は使っていません」と書かれたカードが付いている。さすがイスラムの国の航空会社です
 食事のあとには恒例の映画が始まったが、14型サイズのテレビが前の壁についてあるだけなので遠くてよく見えません更に日本語吹き替えでなく、字幕方式。相当厳しい状況で台詞もストーリも良くわかりません
     
 
(H)機内は結構ゆとりがあって、空いている席に横になってゆっくり寝ている人が多かったです
   日本語ペラペラのハーフの小さな姉妹が乗っていました
 
  中央アジアの果てしなく続く乾燥した大地の上を飛行機は飛んでいる
  ふと主翼を見ると、穴が開いていたり、板がめくれあがっているところがある。少し不安??

イスタンブールへ無事到着

 約2時間遅れで、イスタンブール・アタチュルク空港へ到着
 空港の周りに、モスクの尖塔(ミナレット)が沢山見える。イスラムの国に到着です
 到着ロビーで現地スルーガイドの人とスムーズに出会えた
 日本からの本ツアー参加者は、他に中年のご夫婦(我々も一緒だけど…)二人だけです。今回は4人でのツアー。じっくり行けそうです
 スルーガイドの方は、台所からそのまま来られたような感じで、年齢不詳。少し不安感あり
   
 空港近くの POLAT RENAISSANCE ISTANBUL HOTEL に入って、今日はゆっくり寝るだけ

(H)着陸の時、拍手が起こりました。外国人が多いと拍手するらしいです。ハーフの女の子たちも、ブラボーと言ってすごい喜び方でした

イスタンブール→カイセリ→カッパドキア

2002年 8月30日(金)

早朝にホテルを出発:ミネラルウォータ1本で350万リラ

 昨夜チェックインしたときに、ホテルの部屋においてあったサンドウィッチを朝食として部屋でとっていると、ドアのノックする音。何かと思って開けると、ボーイさんがサンドウィッチボックスを手に、にっこり笑って「ブレックファースト」と言っている。どうも昨夜置いてあったのは、夜遅い時間の到着にあわせた夜食であったようだ。朝から2食は食べれません
 部屋においてあったミネラルウォータをいただいて、フロントでチェックアウトする。1本の価格が、347万トルコリラというとんでもない数字。日本円で240円となるが、この桁数のギャップに早く慣れなければ・・・

(H)主婦根性が出て、旅の初日というのにランチボックスの中のミニジャム・ハチミツなどついついもったいなくて、カバンに入れてしまいました。何と、この時のジュース(ビン入り)は、日本まで持ち帰ってしまいました(重~い)

アタチュルク空港では、空港ビルに入るときに手荷物検査

 ホテルから空港までは、車で約10分。空港の玄関を入るところで行列が出来ている。ここでは、ビルに入るときに手荷物検査をしている。搭乗者も見送り客も全員対象のようだ。これで航空機だけでなく、空港ビルも守っている

Gさん(ガイドの方)はインテリでした

 カイセリまでの飛行機への搭乗は、ボーディングブリッジではなく、バスで行くために、搭乗手続きを終わらせて一階の搭乗待合室に向かう
 そこで、今回のトルコでずっと案内をしてもらうことになるガイドのGさんとゆっくり話が出来た
 彼女は、アメリカにも留学経験があるインテリでした。来日経験も無いのに日本語が本当にお上手。英語はもちろんフランス語もイタリア語も出来るとのこと。昨夜どこかのおばさんという第一印象を持った自分を反省する。まだまだ、人を見る目が無い
 トルコ女性の地位向上に強い意志を持っておられる。現在でもトルコの女性は、男性と比べて地位が低いようだ

(H)ツアーで一緒になった御夫婦は、旅慣れた方で心強い。何と、来月にはカナダへ出かけるとのこと
   宮崎の方で、またまた私はこの旅が楽しくなりました

イスタンブールからカイセリ空港へ

アタチュルク空港を飛び立つ
 この空港では、ジャンボジェット機は見かけなかった。イスタンブールへはジャンボは就航していないようだ
 
 カッパドキアの奇景を築いたエンジェルス山(3,900m)の横を飛んで、カイセリ空港着.
 ここは標高が1,000mもあるらしい。。小さな空港で飛行機から空港ビルへは歩いて入る

これがエンジェルス山
 この山からの火山岩や溶岩が侵食されて、カッパドキアの風景を造った

カイセリは勝利記念日でお祭り模様

 8月30日は、第一次大戦後に進入していたギリシャ軍をアタチュルク率いるトルコ軍(当時はオスマン帝国軍)が攻め、ギリシャ軍が敗走を始めた日ということで、いたるところに大きな国旗が掲示されている
 第一次大戦にはトルコはドイツ側についていた。積年の敵であるロシアを相手にドイツが戦うので、敵の敵は友といったことになったのだろうか。第一次大戦でトルコは大きなダメージを受けていたのを、アタチュルクが救ったのでトルコの国民はアタチュルクが本当に好きなようだ

(H)まさに式典が始まろうとしているような時に、何と私たち4人は、この道を軍隊をかき分けて横断しました。知らないということは強いのですね

広場にあるアタチュルクの像
 お祝いの花輪などが飾られている
 周りは赤い国旗だらけ

パレードに集まった兵士達
 緑が陸軍・白が海軍・青が空軍の制服

ビルの建築現場
 この作りでは地震にとても耐えられなさそう

小さな町のバザール

カイセリからカッパドキアに行く途中にあるバザール
 町の広場で、食料品・洗剤・おもちゃ・衣服・靴等色んなものを売っている

(H)各地に小さなバザールは沢山あるそうです。地元の人も遠くから来る人も、色んな人が出店するそうです

穀物や香辛料は豊富にある

バザールを見ている間ずっと付いてきていた子供たち
 日本人が珍しそうだ

いよいよカッパドキア到着・地下都市へ

 カッパドキア北部のアヴァノスの洞窟レストラン(他にいたお客は、5~6人の日本人だけでした)で食事をとった後、地下都市のカイマクルへ行く
 キリスト教徒がアラブ人からの迫害を逃れて作った、複雑に入り組んだ通路で結ばれたこの地下都市の中には、教会(これは必需品)・台所・食物倉庫・トイレそしてワイン醸造所もあって、この中で生活が出来るようになっているが、日光が入らない狭い世界での生活はどのようなものだったのだろうか

(H)沢山の岩山に囲まれた地形を見て、テロで騒がれたオサマビン・ラディンのことを思い出し、こんなところに隠れていたら見つからないだろうと実感しました

これは教会跡
 ロウソクの煤が残っている

通路を仕切る石製円形のドア
 これで、敵の進入から内部を守る

出てくる出てくる奇岩の数々

妖精の煙突(きのこ岩)
 硬い玄武岩が、浸食を受けた凝灰岩の上に乗っている

まだまだ、新しい風景が造られている

見てのとおり、ラクダ岩です

真ん中奥に見えるのが、マリア様

(H)このあたりは、本当に観光客が多くてびっくりするほど。大きなバスが次々と乗り入れてきました

宿は、洞窟ホテル

 カッパドキアでの宿泊は、洞窟ホテルを予約した
 Urgup Eviという名前で、ホテルというよりもペンションといった感じのこじんまりとした宿だ。フランスから来たという女性と、地元の青年とが共同で経営している

 食事後は、星を見に出かけました。真っ暗な中で久しぶりの満天の星を見ることが出来ました

ホテルの入り口です。岩を掘って各部屋があります

部屋の中
 クーラーはありませんが涼しく、過ごし易い
 冬は寒いかも?

 テレビもありません。何年ぶりかテレビの無い静かな時間を過ごしました

(H)手紙大好きの私は、いそいそと絵葉書を出しましたが、なんとここから出した葉書は1通も日本に届いていません。未だに…(ちなみに投函を依頼したのは、この洞窟ホテルではなくて、Dホテルのフロントです)

 食事は中庭で町の灯り(ちらほらですが)を
見ながらいただきます

(H)夕食は2回ともテラスで頂きました。夜はセーターがいるくらい冷え込みます。ティギという真っ白い猫が庭に何時もウロウロしていました

ティギです

カッパドキア

2002年 8月31日(土)

コーランの声で、目覚める

 5時にコーランの声で目が覚める。延々と続くのかな?と思っていると、5分ぐらいで終わってしまった。ちょっと拍子抜けです

 このモスク(四角いモスクです)の塔についているスピーカーからコーランは流れてきます

ギョレメ野外博物館は、数多くの洞窟聖堂が

 ギョレメ野外博物館のエリアにある洞窟聖堂には、きれいなフレスコのキリスト教絵画が描かれていたり、それを偶像崇拝禁止活動時代に削り取った絵があったりと、色々です

手前が修道士用、奥が修道女用の修道院跡

 岩壁に多くの洞窟を掘って、教会や生活の場所にしています

入場券売り場の料金表
 インフレで桁数が表示板から溢れてしまっている

トルコ絨毯との出会い(値段が半端じゃない:自宅到着まで8週間)

 トルコ絨毯の店に案内される
 このツアーは、土産物屋さんに行く回数が少なく設定されてそれは快適なのだけど、案内されるお店は皆単金が高い店ばかりで、ちょっと懐がきつかったです

 トルコ絨毯を作っているところ、色を染めてもいるところを見せてもらって、いよいよ商談の部屋に連れて行かれる
 壁には、日本からのお礼の手紙や、実際に売った計算書(単位が数百万円)とかが貼られている。どうもこの部屋は日本人対応用の部屋のようだ
 アルコール分の高いラクをご馳走になり、何となく気持ちが大きくなったところで、次から次へと絨毯を見せてくれる
 出て来る絨毯は、どれも素晴らしいものばかりでヤッパリ欲しくなってしまう。カードで払えるので買ってしまいました
 ところがカードの処理をしてもらっていると、限度額オーバーしているとのこと。もう一枚のカードを出して何とか支払いを終えました
 
 ただ心配なのは、ちゃんと日本まで送られてくるのかということですが、買った絨毯のラベルに自分で直接サインをしたり、保証書をくれたりしましたけど、ヤッパリ心配でした
 届くのは早くて6週間遅くて8週間後ということでしたが、実際に届いたのは8週間後でした。航空便で来ているのだけど何でこんなに時間が掛かるのか不思議です

(H)あまり沢山見せられるので、柄も値段も覚えきれず、頭の中がメチャクチャに混乱してしまいます

 ダブルノット方式で織っているため、耐久力は極めて高く100年以上使えるとのこと。ここで買った絨毯を子孫代々使ってもらえるかな?

(H)昨年中国旅行のときも、買うことを迷って買わないでいましたら、帰国後すごい値段にびっくり
 トルコでは気に入ったら買おうと思っていたので、二人で決心して決定。寒くなった今、買い物は成功と実感しています

 織った後に、余分な糸をこのはさみで切って厚みを揃えています

 沢山の絨毯を並べて、値段折衝中です
ヘレケとカイセリの絨毯を買いました

(H)男性のセールス担当者は、日本人もびっくりするほど日本語が上手、立て板に水のごとくしゃべります

派手な料理とコーヒー占い

 昼食には、チョムレックケバブ(壷焼き肉)が出てきた。壷に蓋をして壷ごと火にかけるというもので、ちょっとした料理ショーです
 食後のトルココーヒーで占いをしてもらう。トルココーヒーは粉が一緒に入っているので、飲んだ後に残っているコーヒー粉の模様で占いをする。ちなみに我々が普段飲んでいるようなコーヒーは、トルコ語でネスカフェと言っており、レストランで頼むとまさしくインスタントのネスカフェコーヒーが出てきます。極端な場合は、ネスカフェの粉末の瓶がそのままテーブルに運ばれることもありました

 壷の周りが燃えています
 この料理は、なかなか美味しかったです

(H)このウェイターさんは、写真を撮ると言うと、少し気取ってポーズをとってくれています
 壷の蓋はパイ皮のようになっていて、ボコボコとつぶして、一緒に食べます

  Gさんによるトルココーヒー占い中です
  結構あたっていました

一般の家に訪問

 このツアーには、トルコ人のご家庭への訪問が組み込まれています
 イブラハムパシャという小さな村にお邪魔しました
 この村の一軒のおうちにお伺いし、洗濯物を干している中庭でチャイを飲みながら、おじいさん・おばあさん・お嫁さん・お孫さんとの時間です
 皆さん明るい人ばかりで、家の中を案内してもらったり、狩猟用の鉄砲を見せていただいたり、日本から持ってきていた子供の結婚式の写真を見てもらったりして、のんびりと楽しい時間を過ごすことが出来ました

(H)お嫁さんは美しくてスマート、年をとると太っている人が多いようです

 部屋の中は、思ったより広く、床には絨毯が敷かれていて居心地は意外によさそうです
 ベッドはおじいさん用で、おばあさんは床に寝るそうです。ヤッパリ男女の差がありますね

(H)皆で記念写真を撮るとき、お嫁さんだけは写りませんでした。宗教的な理由があるらしいです

これで大丈夫?運転免許試験

 道路上で運転免許試験が行われていた
 広くてまっすぐな道だ。こんな簡単な所でのテストで免許証を発行しても大丈夫なのだろうか
 以前にカッパドキアで起こった、日本人観光客が巻き込まれた交通事故を思い出してしまう

パシャバーの奇岩たち

ローズバレー(赤い谷)での夕日

夕日で有名なローズバレーに行く
 他にも沢山の観光客が来て、だんだんと沈んでいく太陽をじっと見ている
 
 明日は、カッパドキアからお別れだ

ローズバレーにあった薔薇(ちょっと枯れかけていますが...)

(H)夕日を見物する所に行く途中に料金所がありました。ちょっとびっくり。なんでも商売になるんですね

夕日で景色が赤く染まっています

カッパドキア→コンヤ→パムッカレ

2002年 9月 1日(日)

熱気球が飛んでいます

 ホテルの中庭で朝食をとっていると、山の向こうから熱気球が現れてきた。上空からカッパドキアを見る観光客向けのものだ。約1時間で一人当たり3万円程度掛かるものらしい。ちょっと高いですね

 今日はカッパドキアを出発し、コンヤ経由でパムッカレまで行く。ほとんど一日中バス移動の予定だ

のんびりと浮かんでいます

コンヤのカラタイ神学校に棟方志功?

 セルジュク・トルコ時代の首都であるコンヤに着く
 ここはメヴラーナ教団の旋回舞踊で有名だけど、今回は予定に入っていない。12月のメヴラーナの祭りの時に見れるらしい
 13世紀の建物であるカラタイ神学校に入る。ここには、趣のあるタイルが多数ある。女性を描いたタイルも沢山あるが、東洋風の顔の絵が大変多い。トルコ民族自体が中央アジア方面からやってきたことにも関連あるのだろう

 その中に棟方志功さんの描く女性とそっくりの風情のものがあった(それも数点)。遠い地で、なんだか懐かしいものに出会えたような感覚だ

(H)スカートが円のように広がる旋回舞踊を踊っているのは、男性です

 神学校の美しいドーム。一部タイルが剥がれているのが残念

棟方志功さんの絵に通じるものがありますね
展示されていたタイルの一部です

アナトリアの大地をひたすら走ります

ドライブインにあるトイレ入り口
 使用料(チップ)を徴収している人です。この旅行中一番立派な料金所でした
 値段は、25万トルコリラ(約20円)です。他のトイレに行った時、運悪く1000万トルコリラ札しかなかったので、それを差し出すと、係りのおじさんが「しかたないなー」みたいな顔をして無料で使わせてくれました

(H)トイレは中国よりきれいだと思いました
   日本の和式によく似ています

ドライブインで売っていたガイドブック

 ご覧のとおり、日本語版もしっかりあります。それも最上段に…

 通り雨で、道路全体が泥水に洗われています

(H)雨は、ハンパな強さではなく、豪雨というくらいメチャクチャ降ります

 ドライブインでは、水道ホースと長柄ブラシをくくりつけたもので、泥で汚れた車を洗ってくれています

雨上がりのポプラ並木のそばを歩いている人たち

 何かすごく雰囲気が良かったので、写真を撮りました

 対向車が結構無理な追越をしています

 思わず右足に力が入ってくるような場面も沢山ありました。 途中で、正面衝突しているトラックにも出会いました。無事に目的地に着くのは、たまたま運が良かっただけのような感じ

 トルコには、太陽熱温水器を屋根に設置している家が沢山ありました

整然と耕作されている小麦畑

 トルコの男性は、あんまり仕事をしないと言う話を聞いていたが、結構まじめに農作業をしているようです

ホテル内温水プールのロッカールームは、男女一緒

 パムッカレのCOLOSSEA HOTEL THERMAL に着き、食事後温水プールに向かった
 プールフロントで受付をし、ロッカールームに行くと、なんと女性がいる。あわてて飛び出しフロントで確認し直すが、ロッカールームは間違っていないらしい。ドキドキしながら入り直しよく見てみると、ロッカールーム内に男女それぞれの更衣室があり、ここで着替えた後、衣類をロッカーに納めるようになっているようだ。どうも勝手が違う
 プールの水(湯?)は暖かく、泳ぐというよりもお風呂につかるという感じ。泳ぐつもりで、ゴーグルを持ってきたけど何か場違い。ハマムとジャグジーも併設してあって快適でした

 ゆっくり泳いでリラックスできました。トルコ旅行に水着は必須アイテムです

パムッカレ(ヒエラポリス)→エフェソス→イズミール

2002年 9月 2日(月)

トルコって遺跡の宝庫なんだ

 パムッカレの隣というか、同じエリアと言った方が良い場所に、ローマ時代の遺跡であるヒエラポリスがある
 エーゲ海沿いには、次から次へと色んな時代の遺跡が集まっている。トルコと言えばトロイの遺跡しか頭に無かったのだけど、遺跡の豊富さに圧倒される

北の入り口であるローマ門
 メインストリートの石畳の下には、下水道施設がしっかり配置されています

微妙なバランスで止まっている石

 倒れかけている壁、ゴロゴロ転がっている彫刻類、発掘作業も続けられており、整備途中でまだまだ先が楽しみな遺跡です

(H)ガイドさんに、10年後にもう一度来てみてほしいと言われました。それほど、これからの発掘が楽しみだということなのかも

古代ローマ遺跡では必ずある劇場
 楽屋も観客席も良い状態で残されています
 収容人員は、なんと15千人。観客席の一番高いところまで歩くと結構ハードでした

(H)遠くから見ると、なだらかに見えますが、とてもとても急勾配で、10段登っても足がすくむほどです

屋外温泉プール(池?)の底は遺跡です

 皆が泳いでいる底には、遺跡の柱等が転がっています。その上を泳ぐのは、大変贅沢
 全体は、自然の池をそのまま使っており、何となく日本の露天風呂の風情もあります
 深さは結構あって、疲れた人は、真ん中に張られている綱につかまって休んでいます

 ここが源泉で、お湯が底から湧いてきています
 パムッカレの石灰棚に流れているお湯も、ここが源泉となります
 お湯を飲めるようになっていたので、飲んでみましたが、若干の炭酸が含まれていました

不思議な白い世界:綿の城(石灰棚)

 突然、丘の斜面に一面の白い世界が広がります
 真っ白な棚の上を、温泉から流れてくるお湯が青白い光を反射しながら流れていくのは、美しく、不思議な光景でした
 棚の上部エリアには人も歩いて入れます。当然裸足ですので、久しぶりで裸足で歩く感触も楽しめました

(H)本当に初めて見る風景でしたね
雪でもないのに、あたり一面が真っ白なんですから

 こちらの写真は特別出演で、秋芳洞内(山口県)にある石灰棚(百枚皿)です。ちょっと手振れ(*_*;
 こちらもそれなりの雰囲気はありますが、こちらが皿なら、パムッカレは大広間というくらいの規模の違いでした

(H)日本のものは、洞内にありますが、トルコのは白日のもとにさらされているという、その迫力に圧倒されました

政治・文化・経済的に偉大な遺跡:エフェス(エフェソス)都市遺跡

 エフェスと言えば、この図書館です。想像していたより相当大きなものでした
 この都市が文化的にも重要な役割を果たしていたことが分かりますね

 モザイク模様を施された道路です。美しい色が残っています

地中海へ通じるメインロード

 この道をクレオパトラがエジプト軍を引き連れ、アントニウスの元に行進してきた

(H)同じ所に自分も立っていると思うと、ガイドさんの話を聞きつつ、タイムスリップして古代へ行ってしましそうな気分になりました

娼館への案内図
 道路上に置かれています

建物の入り口に置かれていた分かりやすいサインボード?(エフェス博物館で) 

女神アルテミス

イズミールの夕食は、海にせり出したシーフードレストランで

黒鯛のグリル
 背中が手前に置かれています。何か落ち着かない配置です

(H)外国では、皆ディナーの時間が遅くて、私たち日本人が、何時もレストランでは、一番乗りでした

 レストランからイズミールの夜景がきれいに見えます

イズミール→ベルガマ→トロイ→チャナッカレ

2002年 9月 3日(火)

丘の頂上に歴史の風が吹く:ベルガモン遺跡(アクロポリス)

 トルコの地中海沿岸には、遺跡が連なる
 ここも紀元前2世紀~紀元8世紀ごろに栄えた都市の遺跡である

トラヤヌス神殿
 純白の大理石が、上品な美しさを表現しており、微妙に崩れずに立っている。地震が来ませんように...

ゼウスの祭壇跡に立つ木

 ゼウスの祭壇自体は、ベルリンのベルガモン博物館にある。他の出土品もドイツに持ち去られたものが沢山あるらしい
 トロイの出土品もドイツに持っていかれており、これらが生まれ故郷に帰ってこられる日が来るのだろうか

最古?の総合病院:ベルガモン遺跡(アスクレピオン)

 ここでは、温泉・薬草・暗示・リラクゼーションを活用した、総合的な治療が組織的に行われていた
 今でも通じるポリシーだろう

入り口にある蛇とお椀の彫刻
 蛇は薬を表現するらしい。毒をもって毒を制すということでしょう

 この泉から出る水で治療をしていた
 ラジウム成分が入っているらしい。そういえば、鳥取県の三朝温泉もラジウム温泉だったな

治療エリアと居室エリアを繋ぐ地下道
 ここを患者が歩くとき、上のほうから医者が、「病気が治るよ」と「神のお告げ」をささやいていたらしい
 それを聞いたときの患者の喜びはいかほどのものだったのだろう

 当然、劇場もあります。ここで娯楽を楽しんで、心身ともにリラックスしたのでしょう

ドライブインのジュースメニューは日本語

 よく見ると、「生ざくろジュース」とローマ字で書いてある
 来たお客にあわせて、掲示板をひっくり返しているのだろう。裏をチェックするのを忘れましたけど
 それにしても、ジュース一杯150万(リラ)です

あのトロイの遺跡に来ました

 トロイの遺跡の特徴の一つは、同じ場所に複数の時代の遺跡が、複雑に重なり合っていることですね
 歩いていても違う時代の遺跡が隣り合っていいるところが多く、考古学って大変だなと一方で変な心配もしてしまいます

 各時代の遺構が、重なり合っている現場です

(H)教科書に出ていた、トロイにやって来たという嬉しさを感じました
 発掘したドイツ人の執念には、脱帽ですが、全てを自国に持ち帰ったと聞いて、人間の欲望にガックリ

儀式が行われた場所
 色んな施設が残っています

 今も発掘調査作業が続けられています
 新しい発見も楽しみです

再現された、トロイの木馬

今夜は、ダーダネルス海峡に面したリゾートホテル(TUSAN HOTEL)

ホテルのプライベートビーチ
 結構水は冷たいですけど、泳いでいる人もいます

(H)海はとってもきれいで、波打ち際も透きとおっていました

 海峡に沈む夕日を見ながら、テラスで夕食を楽しみました
 太陽の右下に見えるのは、第一次世界大戦のダーダネルスの戦い(チャナッカレの戦い)でオスマン帝国軍が連合軍と戦って勝った記念碑(殉教者記念碑)です。この時には、オスマン帝国はドイツ側についていました。オスマン帝国にとってはロシアが敵であり、そのロシアと戦うドイツは仲間ということだったのでしょう
 この戦いで、双方合計10万人もの戦死者を出した。記念碑の大きさが、悲しみの大きさにつながってくる

チャナッカレ→イスタンブール

2002年 9月 4日(水)

アジアからヨーロッパへのフェリーの旅で、子供たちと大騒ぎ

チャナッカレからフェリーで、ダーダネルス(チャナッカレ)海峡をヨーロッパ側に渡る
 フェリーで、アンカラから来た団体客と一緒になった
 子供・お兄さん・おばさん・おばあさん達という組み合わせで、ご近所一同での旅行という感じである
 子供たちがデッキにいる私たちをしきりに覗いているので、手を振って声をかけてみると、何人もでデッキに上がってきた。もちろんトルコ語は話せないので、日本で買ってきた「指さし会話帳:トルコ語版」を取り出し、まさしく本の中に載っている絵とトルコ語と日本語を指差しながら話を始める

 これは、結構盛り上がりました
 僕の名前は○○とか、この子は僕の妹だとか、この人はこの人が好きなんだよとか、次から次へと本のページをめくって伝えたい言葉を捜しながら、話が続いていきます
 
 「この人はクルド人なんだよ」と屈託なくちょっと年上のお兄さんを紹介すると、そのお兄さんも「僕はクルド人だよ」と笑って自己紹介してくれる。トルコ東南部を中心として、クルド人との紛争が続いている現実との良い意味のギャップを感じて、こちらまで素直に嬉しい気持ちになってくる

(H)ツアーの友人は、ビデオカメラに写してあげたり、レンズを覗かせたりして、子供たちを楽しませていました
  人間は、本当は、イスラエルもパレスチナもクルドも関係なく、生きていけるのではないでしょうかね

海峡を渡るカーフェリー
 約1時間でヨーロッパ側に渡ります
 天気が良く、波も穏やかで、子供たちとの大変幸せな時間をこの上で過ごすことが出来ました

フェリーの上で子供たちと
 元気で素直なみんなです。やっぱり子供たちに良い未来を残したいし、偏見と争いのない未来を築いてもらいたいな

(H)子供たちは、とってもかわいく?美男・美女
 でも、おばさんになると、(私も含めて)みんな貫禄十分

おばさんたちも一緒に
 でも、何かちょっと怖そうなおばさんたち...

(H)女性の手がなんだか赤っぽいので不思議でしたが、それは、オシャレの一つで、花や草の染料で、手のひらや指先を染めているそうです

 この本で、絵と文字を指さしながら会話?をしました

 あっという間に、ヨーロッパに着いてしまいました
 左側にあるバスが、子供たちが乗ってきたバス。アンカラから一晩かけて走ってきたらしい

みんなさようなら、元気で

イェニチェリ軍楽隊のコーサートに、ダッシュで駆けつける

 ツアーのコースには入っていないけれど、お願いして「軍事博物館」のイェニチェリ軍楽隊コンサートに連れて行ってもらうこととした
 ツアーのメンバは4人だけなので、わがままを聞いてもらってラッキー(^O^)

 15時~16時がコンサートの時間とガイドブックに書いてあったが、博物館に着いたのは既に15時を超えている
 ガイドのGさんは、「コンサートは2回あるから慌てなくても良い」と言っている。でもそんなことはガイドブックには書いていない
 博物館に入ると、遠くから演奏の音が聞こえてくる。ゆっくりなんてしておられない。急げ急げ

 やっとコンサートをやっている部屋に着いた。屋内での演奏だったのですごい迫力だ
 オスマントルコの近衛兵(イェニチェリ)による軍楽隊である。服装も当時のままのようで、すごい刀を持ったり、日本の忍者も着用していた鎖帷子で体を守っている人が仁王立ちしている
 真ん中に指揮者が立って、その周りを円形でラッパ・太鼓・シンバル等の演奏者が囲んでいる
 
 戦争のときは、この軍楽隊が演奏しながら行軍していたので、相手の軍隊はこの音楽が聞こえてきただけで、戦意を喪失していたこともあったようだ
 音楽は、NHKドラマの向田邦子原作「あうん」のテーマ曲でも使われたものが一番有名である

(H)今回のツアーでは、見物できないかも...と思っていたのに、予定外のラッキーなこともありましたね

 指揮者を中心にして、素晴らしい音と迫力を表現していました

 皆ひげを生やして、威厳が溢れています
 地方の喫茶店でくつろいでいた沢山のおじさんたちとは、ちょっと違う

ビザンティン帝国が金角湾封鎖に使った鉄鎖
 1453年のコンスタンティノーブル(現イスタンブール)で実施された、ビザンティン帝国とオスマントルコとの戦いで、ビザンティン側がオスマントルコの船が金角湾に進入するのを防ぐために、湾の入り口に張った鉄鎖の一部
 オスマントルコのメフメト2世は、この鉄鎖を避けて、丘を越える陸上ルートで戦艦を金角湾内に運び、戦いに勝った
 これにより、東ローマ帝国を起源とする、ビザンティン帝国が11世紀の歴史の終焉を迎えた

 トルコの人は、アタチュルクが大好きなんです

 アタチュルクの遺品が集められた部屋に掲げられている肖像画。 第一次世界大戦で連合国からトルコを守り、敗戦後に進入してきたギリシャを撃退し、オスマントルコの帝政を廃止・共和制を樹立したアタチュルクは、現在のトルコを築き上げた、まさしく国民の父(アタチュルク)です(本名は、ケマル・パシャ)

 アタチュルクは、スルタン時代の制度・風習等の西洋化を図り、現在の近代的なトルコを作ってきた。その先見性や公平性は素晴らしいものだったようだ
 現在のトルコの状況を見ていると、アタチュルクが目指していたものより、少し後退しているのかなという気もしてくる

ヒルトンホテルの警備は万全!エレベータでどっきり

 イスタンブールでの宿泊は、ヒルトンホテルだ
 ボスポラス海峡に面した部屋で快適である。これならHも納得してくれているのだろう

 ヒルトンは米国系なので、もちろんテロの視野に入っているホテルだと思う。構内に入ってくる車は、チェックを受けているし、もちろん入り口では、金属探知機による身体チェックと、手荷物チェックも行われている

 エレベータ前で待っている時、着いたエレベータのドアが開き、頭から全身を覆い目のところだけ少し開いた真っ黒な服を着た女性が出てきて、「ドキッ」としてしまった
 ずっとトルコを回ってきたが、ここまで完璧に身体を隠した服を着た人を見たのは始めて、服の下に軽機関銃でも持っていそう(映画の見過ぎかも...)。でも、目はすごく美しかったです

(H)全身を隠しているのは、トルコでも数少ないようです
 女性でも、とても背が高くて、男性が変装していてもおかしくないかも...と思ったほどでした

 ホテルの進入路で、自動車チェック(底を鏡で点検しています)

ヒルトン イスタンブル ボスポラス

イスタンブール

2002年 9月 5日(木)

今日はゆっくりイスタンブール三昧

 タクシム広場からレトロな電車を乗り継いでガラタ橋まで

地下鉄のチュネルの乗り場まで行くトラム

 高級なお店が並ぶ通りを走るけど、道幅は相当狭いです

トラムの切符売り場
 なんだか宝くじ売り場風

チュネル(地下鉄)
 ケーブルカーの地下版のようです。地底に吸い込まれていく感じは、何となく不気味

 チュネルを出ると、そこはガラタ橋橋は2階建てになって上にある歩道では沢山の人が釣り竿を垂らしている。橋の向こうには、イェニ・ジャミイのモスクとミレット

 アジア側から着くフェリーからは、沢山の人が続々と降りてくる
 住まいがアジアで、職場がヨーロッパという人が沢山いて、ボスフォラス海峡を頻繁にフェリー行き来し、二つの大陸を繋いでいる

 ドネルケバブの店です。ちょっと脂濃さそうなので、買いませんでした
 脂が、ポタポタ下に垂れています

アヤ・ソフィアには、キリスト教とイスラム教が同居

アヤ・ソフィア前の、チェリージュース売り

ドームの高さが56mもある堂々とした建物

 手前のアラーとモハメッドの文字が刻まれている円盤の奥には、キリスト聖母子のモザイクがある
 もともと、ビザンチンのキリスト教会であったものを、オスマントルコがモスクに改装した際、モザイク画を漆喰で塗り込めた
 第一次大戦後トルコ共和国が設立された後に、漆喰を取り除いて、ビザンチン時代の絵が再び現れてきた

アヤ・ソフィアの入場券
 15百万トルコリラです(約1,000円)

トプカプ宮殿は、宝物の博物館

広大な宮殿へ入る皇帝の門

トプカプ宮殿入場券
 750万トルコリラ

宝物館入場券
 宮殿内の宝物館に入るのには、さらに入場券が必要。これも750万トルコリラ
 この宝物館の中には、でっかい宝石があっちこっちにあります

エジプシャン・バザールとグランド・バザール

 エジプシャン・バザールは、香辛料のお店が多いバザールで、グランドバザールよりちょっと小振り
 グランドバザールは、さすがに広く、道も入り組んでいる。迷ってしまうと、元の場所に戻れそうにないので好奇心も少し抑え目にして路地には入り込まないように・・・

エジプシャン・バザールの入り口

(H)サフランが安いので、沢山買ったのに、まだ食卓に出てきていません

割礼を迎える男の子
 日本での七五三のようなものかとも思う。親戚中でお祝いをするらしい
 着飾って嬉しそうにしているけど、割礼ってやっぱり痛いのだろうな。頑張って

こちらは、グランド・バザール
 道も広いし、お店も一杯あります

 グランド・バザール入り口前のお店で、キリムの袋を物色しています

(H)たまに、このカバン(キリムの)を使うと、出会う人たちから、「良い織りね」とか「珍しい」とか、とても褒めてもらいます

ベリーダンスショー・ナイトクラブで「さくら さくら」を歌うはめに

 キャラバン・サライというナイトクラブで夕食をとり、ベリーダンスを見る
 このクラブには、各国の旅行者がやってきており、司会者がお客さんにそれぞれの国の歌を歌わせている。皆さんバンドの演奏にあわせて、グループ毎に歌っている
 途中から、一人ずつステージに上げて歌わせる。日本の番では、壇上に私が上げさせられてしまった
 バンドは「さくら さくら」を演奏しだしたけど歌詞カードは無い。短い曲だけど歌詞はちゃんと覚えていません。どうせ日本語が分からない人ばかりだと思い直して、なんとか声の大きさでごまかして歌い終える。少し酔いが覚め加減...でも賞品にトルコワインを貰って、まあ良かったか?

(H)他にも、ドイツ・フランス・イタリアなどの団体がいて、大人数なのですごく盛り上がっていました
 日本は、我々4人のみで人数で負けてましたね

ダンサーと対照的に無表情なバンドの皆さん
 まあ、毎日見ていれば何とも思わないか

色んな地方のフォークダンスも見せてくれます

イスタンブール

2002年 9月 6日(金)

トルコの最終日

ボスフォラス大橋に上がる朝日(ホテルの部屋から)
 この先には、黒海・ロシアそしてチェチェン・グルジアの人々が暮らしている

ドルマバフチェ宮殿

19世紀にオスマントルコの宮殿として建設された巨大な建物
 共和制になってアンカラに首都が移転してからも共和国政府の施設として利用していた。アタチュルクもこの宮殿で執務中に亡くなった

正門に立つ門兵
 身動き一つせず立っている。とても自分では出来ません

帝位の間にある世界最大級のシャンデリア
 宮殿の中には、多くの広間と多くのシャンデリアがあるけれど、その中で一番大きな4.5tのもの。イギリスのヴィクトリア女王の寄贈

4.5tを支えているドームの天井
 良く落ちないものだな 

 宮殿の庭は、ボスフォラス海峡に面していて、気持ちの良い風が吹いています
 水面の向こうには、トプカプ宮殿やアヤソフィアが見えます

ブルー・モスク(スルタンアフメット・ジャミィ)

 ブルー・モスクに着いたのは、礼拝時間の直前
 早く見て、早く出て行かないといけない。駆け足で中を通り過ぎていく
 ガイドのGさんは、ノースリーブで少しだけだけど短めのスカートなので、係員から肩にかけるためのものと足に巻くための毛布を貰って、身体をぐるぐる巻きにしてモスクの中に入ってくる。でも、歩いている間に段々毛布がずれてきて、どうでもよさそうな感じです

礼拝に入る前には、身体を念入りに清めています

 広大な室内だけど、照明は手元を照らすためか随分低い位置にあります
 礼拝のために、続々人が集まってきている

床に敷かれている絨毯
 一コマに一人が座るのでしょう
 全てメッカの方向を向いています

地下宮殿

 6世紀からオスマントルコ時代まで利用されていた、地下貯水施設
 都会の真ん中にある不思議な空間

暗闇の中だけど、柱には彫刻が施されている

有名なメデューサの首
 こんな使われ方をして、何となく怒っているような顔に見えます

さようならトルコ

 アジアとアラブとヨーロッパが長い歴史の中で入り組んできたトルコ。色んな所にいけたし、色んな人と会えたし、色んな経験も出来ました
 周辺には政情の不安定な国が沢山あって、何時飛び火してくるか分からないという情勢の中で、EUへの加盟により、新しい時代を築こうとしている人たち、平和で豊かな国を作ってください

空港では黒ラブも頑張っている

アタチュルク空港の搭乗ゲートから離れていきます

Posted by walkingosamu