スペイン 1999年(パックツアー)

1999年11月22日~30日

  月 日 行    程
出発前  

ツアーが催行中止に
「うちのかみさんの初海外旅行」等

1日目 11月22日(月)

関空→フランクフルト→バルセロナ
「ツアーメンバーの平均年齢は若いぞ」「飛行機の中で、早くも土産購入」「17時間かけてやっとバルセロナへ」等

2日目 11月23日(火)

バルセロナ→ジローナ→バルセロナ
「ホテルの入り口には3つの旗が」「ガウディワールドへ」「サグラダ・ファミリアでHはグロッキーに」「趣のある素敵な街ジローナ」等

3日目 11月24日(水)

バルセロナ→セビージャ
「ヒラルダの塔はゆっくりと登ろう」「フラメンコを見ているのは日本人だらけ」等

4日目 11月25日(木)

セビージャ→ロンダ→ミハス→グラナダ
「セビージャのホテルはサービス悪し」「ロンダの闘牛場の剥製の牛はいい顔をしている」「コスタ・デル・ソルでも冬は寒い」等

5日目 11月26日(金)

グラナダ→コルドバ
「イスラム王の栄華と悲運、いよいよアルハンブラ宮殿だ」「ヘネラリフェ離宮にも野良猫が沢山」「パラドールでワインとタイタニックと結婚式」等

6日目 11月27日(土)

コルドバ→トレド→マドリッド
「トレドはさすが歴史のある街」「駆け込みでゲルニカに会えた」等

7日目 11月28日(日)

マドリッド
「プラド美術館は圧倒的な迫力」「緊張感溢れるスペイン広場」「悪名高き地下鉄に乗って、サッカー競技場へ」「ビルバオサポータのワインは美味しい」「スペイン最後の夜は、石焼ステーキで」等

8日目 11月29日(月)

マドリッド→フランクフルト→
「いよいよヨーロッパとお別れ」

9日目 11月30日(火)

→関空→松江自宅
「自宅のカレーライス」

出発前

・うちのかみさんの、初海外旅行

 勤続30年を迎えた記念に、うちのかみさん(以下H)とスペイン旅行を計画。Hは家に居るのが一番好きな猫型人間のため、今回が初めての海外旅行。でもスペインには興味があるようで、楽しみにしている様子

・ツアー催行中止で、急遽予定変更

 ツアーで行くことにし、インターネットとパンフレットで検討した結果、「阪神航空フレンドツアー:ベストスペイン11日」を申し込みし、出発日を指折り数えて待っていると、なんと催行人員不足のために中止との連絡が来た。急いで2名から出発保証という「ANAハローツアー:情熱のスペイン9日間」に変更した。2日間日程が短くなって残念だけれど、まあ取りあえず行けるぞ

1日目(関空からフランフルト経由バルセロナ)

1999年11月22日(月)

・ツアーメンバーの平均年齢は若いぞ

 前日に松江から関空入りし、ANAゲートタワーホテルに泊まる(地方からの海外旅行は、別費用がかかって大変)

 朝10時半に関空集合、他のツアーのメンバーを見ると結構ご年配の方が多い。我々の集合場所には若い人が沢山いる。全部で18名のツアーだけど、そのなかに5組10人の新婚さんがおられるようだ

(H)私たち48歳夫婦は最年長グループのよう。添乗員さんもANAワールドツアーの若い女性のSさん、気楽に楽しい旅ができそうだ

・飛行機の中で、早くも土産購入

 安いツアーなので、席はもちろんエコノミーシート。お客も結構多くて、満席状態であった。さあヨーロッパまで覚悟を決めていこう。食事は期待もしてなかったけど、やはりあまりおいしくも無い。お酒を飲んでしっかり寝ていよう

 Hは、機内物販のパンフレットを見て、早速物色中である。「おいおい、今買ったら旅行中ずっと持って歩かないといけないのに」と言うと、「帰りの飛行機で売り切れて買えなかったら悔いが残る」と言って、着々とゲットしている

・雪のフランクフルト・マイン空港は、フォルクスワーゲンだらけ

 12時間、風景の変わらないシベリア上空などをひたすら飛んで、雪の積もっているフランクフルト(零下1度)に到着。エプロンに着かず、バスでターミナルビルへ行くことになる。タラップから降りると周りはフォルクスワーゲンだらけ、いろんな種類のVWが使われている。家ではVWジェッタ(その前はカブト虫)に乗っており、VW歴25年の私としては嬉しい風景であった

 乗り継ぎのため、ターミナルビルで4時間ひたすら待つ

・17時間かけてやっとバルセロナへ

 バルセロナは2日前に60数年ぶりの雪が積もったそうで所々雪が残っている

 ホテルは、カタルーニャ広場近くのホテル・デュケス・デ・ベルカーラ、大理石の手すりがある階段を持つ雰囲気のある中くらい規模の4つ星ホテル(旅行中のホテルは全て4つ星で、清潔で居心地の良い部屋でした)
 夜の10時だけど日本時間は朝の6時、体と頭がボヤーとしている早く寝よう。Hもお疲れモードのよう

ホテル・デュケス・デ・ベルカーラ

2日目(バルセロナとジローナ)

1999年11月23日(火)

・ホテルの入り口には3つの旗が

 ホテルの入り口には、スペイン・カタルーニャ・ECの旗が並んで立っている。レシートにもペセタとユーロの表記が並列で印刷されている。着々とECへの統一が進んでいるようだ。一方カタルーニャという地元に対する思い入れも強いものがある
 ホテルの前では、白バイの警官が早朝から駐車違反のキップを切っていた。ここでも駐車するのは大変のようだ

・ガウディワールドへ(まずはカサミラ

 バスに乗って市内観光、まずはカサミラへ
 ガウディ設計のこの家は曲線に包まれた独特の建物で、装飾も色々ついており、本当にオリジナルという感じ。朝9時ごろについたのだけど、建物の正面に出されている大カレンダーの日付は、まだ前日のままだった

 ツアーの仲間は、1階の両替所(銀行?)でトラベラーズチェックをペセタに替えている。昨日バルセロナに着いたのが夜で、空港の両替所が閉まっていたため、やっと両替が出来たようだ

・グエル公園には野良猫が一杯

 バルセロナの小高い丘の上にあるグエル公園へ。バルセロナの街と地中海を見ることが出来る

 ここはグエル氏の依頼により、ガウディが設計した住宅分譲用エリアだったけど、工期が長すぎる等の理由で購入したのは、グエル氏とガウディのみだったようだ

 やはりここもあらゆる場所で曲線を美しく使っているガウディらしい公園だ。光と影と曲線の素晴らしい組み合わせも随所にある

 公園正面には、タイルで覆ったドラゴンがいる。ドラゴンはカタルーニャ地方の守り神だそうだけど、このドラゴンはどう見てもトカゲにしか見えません。公園内にはいろんな場所でタイルが使われているけど、この地方のタイルは色が鮮やかできれいです

旧グエル邸を使った小学校
 

 ところで、ここの公園には野良猫が一杯いた。どこの国の猫も同じ顔をしている(子供と一緒にするとまずいかな?)。野良猫と言っても清潔にしていて、皆きれいな顔をしている。のんびりと日向ぼっこをしたり、じゃれあったり楽しそうだ

・サグラダ・ファミリアでHはグロッキーに

サグラダ・ファミリア

 サグラダ・ファミリアに入っていくと、まず受難の門
 この門は直線が多くてあまりガウディっぽくない。ガウディの死後、設計に他の人の手が入ったとガイドさんが言っている。反対側(誕生の門)に回ると、すごい….曲線と装飾。圧倒的な存在感だ。ここの彫刻には日本から来ている彫刻家の造ったものも入っている(帰国してからTVで見ました)

サグラダ・ファミリア(塔の内部)
 2/3の高さまで塔の中の階段で登れるというので、Hといっしょに登ってみる。狭い階段で、塔の内側をひたすらぐるぐると回りながら登っていく、目が回りそうだと思っていたら、Hは苦しさでグロッキー状態になって怒っている。私が速く歩きすぎて、付いて行くうちにきつくなったようだ。ちょっと休憩して、Hの呼吸が整うのを待つ。なんとか歩いて登れる最頂部までたどり着いたけど、Hはまだご機嫌斜めでくたばっている

 ここからは、バルセロナの市街が一望できるけど、今地震が来たらどうなるのかと、その心配が頭から離れない。ここでは地震は無いとのことだけど、石を積み上げただけの造りのようなのでやたら心配。早く降りよう

 完成まであと何十年かかるかわからないけど、少なくとも確実に前には進んでいる。資金も厳しいようで、構内に募金箱がある(日本語でも、募金の依頼を書いてある)ので、ささやかではあるけど100ペセタをほんの気持ちに入れておく。かつて日本の企業からの大規模な寄付の申し出があったけど、教会がその企業のものになってしまうという反対があって、受けなかったとのこと。他の古い教会も何百年もかかって建てているのが沢山あるようで、こんなことは普通のことのようだ。どうも大陸の東の端にある小さい島国の、せせこましい人間の考えることとは、メジャーが違うようだ

・新婚さんごめんなさい

 昼食は、ゴシック地区の小さいレストランでイカ墨のリゾットを食べた。今一歩の味でした
 このレストランで同じテーブルについた新婚さんは、なんと私と同じグループの会社に勤めている人。そして職場は私の生まれ故郷である岡山。結婚式を挙げた場所は、私が一年前まで暮らしていた浜田という、やたら関連がある人でした。ごめんな、スペインまで来て仕事のことを思い出させて

・色が溢れているランブラス通り界隈

 ランブラス通りは、花屋さんが軒を連ねており、ここも色が溢れており、一帯が明るい。通りには兵隊とかの銅像が何体も立っている、と思ったら人間が衣装をつけて顔とかにも色を塗り、じっと動かずに立っているものだった。瞬きもせずに本当にすごいパフォーマンスだ(なんと呼ぶのかわからないけど)

 レストランに行く途中に大きなカテドラルがあった。休みの日にはこの前でサルダーナを皆で踊っているらしい。是非その場面を見てみたいものだ(Hは20年近くフォークダンスをやっているので、ひょっとしたら踊れるかな?)

 サン・ジョセップ市場の中を通ったけど、食材がすごく豊富で、色彩も豊富。やっぱりカタルーニャ地方は原色が一杯で、ふとミロを思い出してしまう

・はらはらドキドキのジローナまでの道のり

 午後は、自由時間だ

 日本にいるときに、インターネットのスペイン関連広場で教えてもらったジローナに二人だけで向かう。電車で片道1時間半かかるけど、今日中に帰ってこないといけないので、ちょっとハードなスケジュール

 RENFEのPASSEIG DE GRACIA駅まで、早足で向かう。やっぱりHは歩くのが早すぎると息を切らせている。申し訳ないけど頑張ってもらう
 途中のCITY BANKに寄って日本で準備したWORLD CASH CARDを使ってペセタをATMから引き出す。両替の手間がかからず、直接ペセタを引き出せるから結構便利である。ここのCITY BANKのATMを使う時はディスプレイに日本語表示が出てきてやっぱり嬉しい(ほかの銀行のATMでは日本語は表示されなかった)
 駅のキップ売り場(窓口)で、スペイン語会話手帳を見ながらたどたどしいスペイン語を使って切符を買う。駅員が「………リターン?」と言っている。どうやら今日帰ってくるのか?」と聞いている雰囲気だ。「イエス」と言うと往復の切符をくれた。小さい時刻表も渡してくれた。親切な駅員の方だ、スペインに対する印象が更に向上。スペイン語と英語が混ざっていたが何とかキップを入手できた。心臓がドキドキしている
 改札口が無く、駅員さんに出発ホームを聞くことも出来ない、取りあえずホームに降りる。どちらのホームがジローナ行きなのか表示を見てもまったくわからない。どうも心配になってきたので、ホームにいるおじさんに聞いてみた。スペインでは英語は通用しないと聞いていたのだけど、スペイン語はまるでだめなので、英語(これも相当怪しいものだけど)で聞いてみる。反対側のホームのようで、慌てて反対側に移る。また走らしてごめんなH。すぐに電車が到着、やっぱりこっちのホームだった

 電車は地下からすぐ地上に出て、バルセロナから北東に向かって走る。住宅地から田舎の風景へと変わってくる。Hは日本から持ってきた梅味のキャンディを食べ始めた。向かいに座っている老夫婦に勧めたけど、遠慮したようだ。梅味のキャンディを口に入れた時の顔を見てみたかった。多分スペインにはこの味(梅の酸っぱさ)のキャンディは無いだろうな。駅に止まるたびに標識をしっかり見る。乗り過ごすとまたややこしいことになってしまう。何とか無事にジローナ到着

・趣のある素敵な街ジローナ

 駅に着いたのが16時50分、目的のカテドラルは18時閉館。急いでいかなくてはと、駅前のタクシーに滑り込む
 「カテドラル ポルファボール」と言うと、運転手さんが何やらスペイン語で言いながら、手で「近い」と「歩く」という仕草を繰り返す。近いから歩いていけって言っているのかな、歩くにはちょっと距離があるので参ったなと思いながら降りかけると、ノーノーと言う、どうも近くまでは行けるけど、入り口まではいけないのでそこから先は歩いてくれと言っているようだ。助かった!さあ出発

カテドラル

 タクシーを降りて川を越え、カテドラルまで歩く。遠くから見ると場所がわかるけれど、近くまで来ると道が入り組んでいてカテドラルがなかなか見つからない。なんとかたどり着くと今度は入り口(キップ売り場)がまるで見つからずに、周りをめぐりながら、エイヤッと適当に入り口の扉を押して入ってみる。中は暗く巨大なスペースそして教会やお寺独特の何か不気味な雰囲気が…比較的怖がりの私(ホラー映画も大嫌い)としては、あまり愉快ではない。でも奥のほうにほのかに灯りが点いているので、そこまで行くとやっと入場券売り場が見つかった
 展示物は、教会の色んな行事に使われるものや昔の貴重な装飾品等であった。立派なものが多く、昔の貧しい社会でも教会は相当な権力を持っていて財産を築き上げたのだろうなということが良くわかる
 一番奥に天地創造のタペストリーがあったけど、暗くてよく見えないし、ここにいるのも我々二人きりで何となく不気味なので早く出てきた。お土産売り場には人が居たので一息つく、Hはジローナの絵葉書を買っている。いい絵葉書が多いようだ。中庭に出ると外は相当暗くなっている。やっぱり夜のお寺や教会はどうでもいいや
 カテドラルを出ると、日本の女の子が一人でリュックを背負いながら旅行しているのに出会った。気をつけて旅行を続けて欲しいな

 駅までは、ジローナの街をゆっくり歩きながら向かった。照明がやさしく狭い路地で、大変趣のある古い街並みで気持ちが良い。川と街並みと月との組み合わせも美しい。途中のおもちゃ屋で、ポケモンのポスターを貼ってあった。ヨーロッパでも人気があるようだ。案内所で、インターネットのスペインの広場の方に教えてもらっていたレストランの場所と開店時間を聞くと、開店は21時頃とのことだ。帰りの最終電車は21時29分なのでとても間に合わない。もう一つ聞いていたバルのバル・ストップの場所を聞くと駅のすぐそばのようなので、そこで夕食を取ることとする

 バル・ストップは、お兄さんが一人でやっている店だった。スペイン語会話手帳のメニューのページを開いて、そこに載っている活字を指差して食べ物を注文する。この方法は楽でいいや。ハモン・セラーノ(生ハム)と野菜サラダとワインと頼む。生ハムはすごくおいしい。トイレもすごく清潔
 満足してバルセロナに帰る

3日目(バルセロナ→セビージャ)

1999年11月24日(水)

・バルセロナではやはりFC・バルセロナグッズをゲット

 バルセロナのプラット空港で、FCバルセロナのユニフォーム(子供への土産)を買って、イベリア航空でセビージャへ向かう。空港のロビーでCDを配っていたので、取りあえずもらってみるとブラウザーが入ったプロバイダーへの接続ソフトだった。これは、日本では使えないな。スペインもインターネットがどんどん普及しているようだ

・ヒラルダの塔はゆっくりと登ろう

ヒラルダの塔
 大聖堂に入って、ヒラルダの塔に登る。ここも歩いて登るのだけど、昔は馬に乗って登ったというだけあって、通路が広い。昨日のサクラダ・ファミリア階段グロッキー事件があったので、今日はゆっくりと休みながら登ることにする。Hも余裕があるようだ

 塔からはセビージャの街が一望できる。街の中には変に高い近代建築がないので、見晴らしがよい。塔には鐘がぶら下がっていたが、ちょうど3時になって耳元で大きな音でなって皆びっくり

 カテドラルの中には、見るものが一杯
 「ヒラルダの塔を支える二人の聖女:ステンドグラス」「コロンブスの墓?とそれを支える4人のスペイン王(一人の王が持っている槍の先には、ざくろ(グラナダ:イスラムの象徴)が突き刺さっている)」「セビージャ開城のときにイスラムの王からスペインの王に渡したセビージャの鍵」等々

 外に出てお土産屋でHがフラメンコのカスタネットを買っている。シルクを固めて作ったものだそうだ。お土産屋のおばあさんが上手に鳴らしてくれた
 セビージャを案内してくださった現地日本人ガイドは、美しくしっかりとした女性でした(ご主人は日本から闘牛士を目指してスペインにこられた方です。ただ残念なことに、闘牛中に怪我を負ってリハビリをされているようです。早く回復して欲しいですね)

 スペイン広場に寄って、今日のホテル、ホテル・アル・アンダレス・パレスへ着く。近代的な大ホテルで、隣にスペインリーグのベッツのホームスタジアムがある

・フラメンコを見ているのは日本人だらけ

タブラオ
 19時ごろにタブラオに行くと、なんとそこの客席にいるのは日本人団体客だけ(我々もそうだけど…)。狭い客席にすし詰め状態にされて、ちょっとわびしい。けれどもフラメンコそのものは、なかなか良かった。カスタネットの音の迫力も相当のもの。ただ、どこで合いの手を入れていいのか、わからず少し盛り上がりに欠けた。やっぱり地元の人といっしょに見て地元の人と一緒に盛り上がるほうが良いな

夜のヒラルダの塔
 帰りにもう一度ヒラルダの塔の近くを通った。夜景も良いもんだ

4日目(セビージャ→ロンダ→コスタデルソル→ミハス→グラナダ)

1999年11月25日(木)

・セビージャのホテルはサービス悪し

 お風呂にお湯を張ろうとしても、全然お湯が出てこない。相当時間を置いて再度挑戦すると、やっと出てきた

 朝チェックアウトの時、清算をしようと並んで待っているが、フロント担当者の能率が極めて悪く、列が全然前に進まない。他にカウンターの中に人がいるのだけど、全然気にも止めず知らん振りをしている。30分くらい待ってやっと終わった。二度とこのホテルには来ないぞ

 スペインの名誉のために付け加えますが、こんなに対応の悪かったのは旅行中このホテルだけでした

・セビージャのホテル関連話題(その二:あんまり綺麗な話ではないですが…)

 自宅では、シャワートイレを使っていたのですが、旅行中のホテルにはシャワートイレはありません。どうもすっきりしなかったのですが、バスルームにあるビデを見て、よしこれを活用してやろうと、シャワートイレ代わりに利用することにした。快適、旅行中はずっと利用しました。日本でシャワートイレを使っている方、試されたらどうでしょうか

・ロンダの闘牛場の剥製の牛はいい顔をしている

 ロンダの闘牛場は、スペインで最古の闘牛場らしい。切符を買って中に入ってまず目指したのは、トイレでした。これがまた見つけにくい場所にあって少し焦りました(続けて下ネタでした)
 闘牛場そのものは、こじんまりとした手作りっぽいものでなかなか良い。小さい博物館があり、有名な闘牛士の服や写真と一緒に闘牛士と戦った勇敢なトロ(牛)の頭部が剥製となって壁に飾られている。みんな勇敢でやさしいいい顔をしている

ロンダ闘牛場入場券

・ロンダからコスタ・デル・ソルへの道沿いは車の墓場

 ロンダ付近の道は、山岳コースでガードレールも無い。結構カーブもきつくて、バスに乗っていてもスリル十分である。ふと谷底を見ると、何台もの車が折り重なって落ちている。それも一箇所や二箇所ではない。引き上げもしていない。それにしても車に乗っていた人はどうなったのだろうか

 何回もカーブを繰り返して、とうとう地中海が見えた。今日は天気があまりよくなく、雲間から光が天地創造のイメージように降り注いでいる。この海の向こうはアフリカだ

・コスタ・デル・ソルでも冬は寒い

 マルベリャにバスが止まって、「どうぞ海を見てきてください」というのであまり気も進まないけどせっかくだからと海岸へ。でも寒いや。なかに半そでで歩いている人がいる。よくわからない。逗子アリーナのような、建物があった。(こちらのほうが本家かもしれないけど)
 次に寄ったトレモリノスで、シーフードの昼食を取ることに。ここのシーフードは美味しかった。食事後に砂浜に出てみると、誰もいない海でした。地中海の水を少しなめてみる。やはり塩辛かった

トレモリノスの海岸とリゾートマンション

「今はもう冬、誰もいない海♫」

・ミハスのアーモンド菓子は美味しい

 白い町ミハスに寄って、お決まりの撮影スポットで記念写真を撮り駐車場に帰ってみると、香ばしいにおいがしてくる。アーモンドに砂糖をまぶしたものを露天で売っていたので、買って食べる。結構美味しい

・バスの中で自己紹介

 4日間一緒に過ごしている18人+添乗員さんだけど、誰が誰やらさっぱりわかりませんでした。今日はバスの中でみんな自己紹介することに
 北海道から福岡まで全国から集まってきている。やっぱりみんないい人のようだ。名前もわかったし、さらに楽しい旅になるだろう

・ミネラルウォータをスーパーで買えば1リットル40円

 スペインでは、水道の水は飲めないので、レストランで食事の時はミネラルウォータを買い続けてきた。0.5リットルで160円もしていた
 グラナダについた夜、スーパーに行って買うとなんと1リットル40円と1/8の値段。日本と比べてもめちゃくちゃ安い

・グラナダのロマフラメンコは残念ながら公演中止

 洞窟(自宅)でするロマのフラメンコを見に行こうと、添乗員さんにお願いしていたのだけど、見に行く人数が我々と北海道から来ている女の子二人連れの4人しかいないので、今日はやらないとのこと、残念ながら諦めることにする。色々諦めざるを得ないことが出てくる

5日目(グラナダ→コルドバ)

1999年11月26日(金)

・シェラ・ネバダに抱かれたグラナダの街

 ホテルの部屋から、雪が積もって白いシェラ・ネバダ山脈が良く見える。スキー場へも30分で行けるらしい。ここから出る水で、グラナダは水が豊富だ

・イスラム王の栄華と悲運、いよいよアルハンブラ宮殿だ

 スペイン旅行中のメインイベントと言っても良いアルハンブラ宮殿に向かう
 駐車場から歩いて入り口まで行く。右側にずっと城壁があり、期待感を盛り上げてくれる。入り口の手前にワシントン・アーヴィングの記念碑が立っている。なんで米国人の記念碑があるのか不思議(後で、アルハンブラ宮殿を世界中に紹介した「アルハンブラ物語」の著者だと知る。来る前に読んでおけば良かったけど、帰国してから慌てて読んだ)

 入り口は裁きの門、門の上部に「鍵」と「手」の彫刻がなされている。言い伝えによると、運命の日にこの手が出てきて鍵をつかむそうだ、その時、門が崩れてイスラムの財宝が現れるらしい

 中に入るとカルロス5世宮殿がある。イスラムが退却した後建設されたものだが、やはり違和感がある。これはこれで価値のある建物らしいが、あまり良くないな

 アラヤネス(天人花:ツゲ)の中庭に入る。コマレスの塔があり入り口や、部屋の上部に独特な装飾が緻密になされて、壁にはアラビア語で「勝利はアラーにあり」と刻まれた板が無数に張られている。中庭(パティオ)の周りには王妃(4人)の部屋がそれぞれあって、他の部屋の様子を気にしていたようだ。宮殿内の全てのパティオには池があり、シェラ・ネバダから引かれた水が、尽きない泉のように湧き出ている

 獅子のパティオでは、12頭の獅子が大水盤を支えている。昔は時間に合わせて、交代で獅子の口から水が出ていたらしい
 王や王妃の浴室の近くに音楽を奏でる場所があったけど、演奏家は王たちの裸の姿を見ないために、目を潰されたらしい、中国の宦官も同じだけど、優雅な生活をしている人の周りでは、さまざまなことがなされていたのだな、だけどこの人たちはそれにより安定した生活が出来たのだと、複雑な気持ちになる

アルハンブラ宮殿(獅子のパティオ)
天井の装飾

・アルバイシン地区への抜け穴

 アルハンブラ宮殿から、最古のアラブ人街であるアルバイシン地区の家並みが良く見える。現地ガイドさん(日本人)によれば、宮殿からアルバイシンにつながる地下道があり、緊急の時はそこを利用することになっていたらしい。日本のお城でも同じ話がありますよね

・洞窟の家が並ぶサクラモンテの丘

 洞窟を利用した家が並ぶサクラモンテの丘も良く見える。昔ロマの人たちは定住の場所が無かったが、グラナダでスペイン王がイスラムを攻めた時、ロマが活躍し、その功績によりこの丘に定住することが認められたとのことだ。でも現在でもやはりの暮らしは安定していない

・ヘネラリフェ離宮にも野良猫が沢山

ヘネラリフェ離宮
 宮殿から歩いて15分ほどでヘネラリフェ離宮に着く。ここも豊富に水が使われている。離宮といっても宮殿からあまり離れていないので、ほんの気分転換ぐらいにしかならなかったのではないのかなと思ってしまう
 ここでも野良猫(綺麗なやつ)がのんびりと日向ぼっこをしている。呼んでも見向きもしないけど、お菓子の袋をガサガサとすると、足元に擦り寄ってくる。現金なやつだ

・コロンブスが新大陸を発見した年は、まだグラナダはイスラム王国だった

 グラナダがカソリック両王によって陥落し、イスラム王ボアブディルがアルハンブラ宮殿を開城したのが1492年の新大陸発見の年、そしてその翌年ボアブディルは失意のうちに北アフリカに渡っていく。その後彼らの末裔は定かでないという(「アルハンブラ物語」から)

 780年続いたイスラムの時代がスペインから去っていった。6年の間にイスラムに占拠されてしまった国土を、780年もかけて取り戻した。この粘り強さはすごい。そしてスペインは太陽の沈まない国と言う最も華やかな時代を迎えることとなる

・ドライブインの犬は死んだふり?

 コルドバに行く道沿いに、オリーブの木が一杯植えてある。あまり手入れをしなくても良いらしく、今日までバスで走ってきた道沿いにも、至る所にオリーブの木があった。スペインは作付面積は世界一で、収穫高はイタリアが一番らしい。植えっぱなしで、あまり収穫をしないのがその理由とのことだけど、勤勉といえないあのイタリアに負けているというのは、相当なものだ

 途中に寄ったドライブイン(駅を改造したもの)で、サフランの小箱を5個1000ペセタ(800円)で売っていた。Hは安い安いと喜んで買っている。しかしこのサフランは、帰国して約4ヶ月経つけどそのまんま台所にある。何時使うのだろうか?

 このドライブインの昔プラットホームだったところに、白い大きな犬が両手両足?をまっすぐ伸ばして横に倒れている。身動き一つしないので、Hが死んでるんじゃないのと心配している。そばに寄って見ると息をしているようだ。変な寝方をする犬だ

・コルドバの現地ガイド(日本人)はオカンムリ

 コルドバの街に着いて、メスキータを見ることにする。
 コルドバ到着が予定より遅れていたらしく。現地ガイドさんが待ちくたびれてご機嫌が悪い。恐る恐る後ろについてメスキータに入っていく
 中は、無数(850本らしいが)の柱が乱立し、その上にあの赤茶・白ストライプのアーチがそれぞれ乗っかっている。メスキータというのはイスラム教会のモスクのスペイン読み?らしい。これらはイスラム時代のものがそのまま残っており、礼拝所もメッカの方角に向いたものがあるけど、キリスト教の礼拝堂も一緒にあって戸惑ってしまう

・パラドールでワインとタイタニックと結婚式

 今日のホテルは、ホテル・ラ・アデルファスで、2階建ての瀟洒なつくりのホテルでなかなか良かったけど、すぐ隣にパラドールがあるので、夕食後みんなでワインを飲みに出かけた。パラドールのバーでピアノの生演奏を聞きながら美味しいワイン(リオハ1994年物)を飲んでいると、添乗員のSさんがピアニストに勧められてピアノを弾き始めた、なんと映画タイタニックの主題曲である。すごーい、隠れた才能あり、改めて感心

 ホテルのロビーが賑やかになったので覗いてみると、なんとロビーで結婚式の後のパーティをやっている。時間ももう夜の11時だ。やっぱり少し感覚が違うけど、新郎新婦もお客さんも幸せそう

 この夜は少し飲みすぎた

6日目(コルドバ→トレド→マドリッド)

1999年11月27日(土)

・二日酔いでダウン

 この日は、前日の飲みすぎでどうも調子が出ない。バスの一番後ろの席で寝ていよう

 途中で、ワイン工場に寄ったけど、あまり試飲をする元気も沸いてこないな

・ラ・マンチャの風車は霧の中

 ドンキホーテが立ち向かって行った風車は、青く透き通るような空の中にあるイメージなのだけど、今日は珍しく濃霧に包まれていてちょっと変な感じ。以前からあの木の枠でどうして回るのか不思議だったけど、実際に回す時は木の枠に布を貼り付けるそうだ、納得

 何台も風車が連なっているのだけど、霧のために先の風車が見えない

・トレドはさすが歴史のある街

 トレドにつくころには、霧はすっかり無くなって抜けるような青空

 対岸のパラドールのテラスからトレドの街を見る。昔の建物が密集している。街の周りを川が囲んでおり、いかにも守りやすい土地のようだ

トレドに入るラ・カバ橋

 トレドの街に入ると、道は狭く入り組んでいる。ガイドさんとはぐれると二度と会えそうに無い。一所懸命ついていこう

カテドラル正門
 ここを通れるのは、ローマ法王・スペイン国王・大司教の三人のみ

 カテドラルに入る。ここは旅行中唯一の撮影禁止場所だ
 スペイン・カソリックの総本山ということで、規模も装飾も宝物も相当なものだ。やっぱり富が教会に集められていると思ってしまう。かつてスペインで無政府主義者たちが内乱を起こし、教会を襲撃の対象としたのも分かるような気がする。その時に貴重な芸術品が相当失われてしまったことは残念だけど…。

 外では、おじさんが本を売っている。なんと「司馬遼太郎さんも買った本だよ」と我々に向かって日本語で叫んでいるけど、本当かな?
 本当でした。「街道をゆく23:南蛮のみちⅡ」の中で、司馬さんが買った様子を記述していました。「・・・本の正体としてはのっぺらぼうなものであった。・・・トレドのことが書かれているなら、反故でも読みたい心境だったから、・・・彼女は本を私にわたすと、橙色の灯りがついているアパートの中に消えた」と、スペインに対する情感と感謝の気持ちと、現在の状況に複雑な思いを込めて、描いていました

・トレドはエル・グレコの街

 サントトメ教会にある、エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」を並んで見る。これは壁画なので、ここ以外では見れない。エル・グレコは、倉敷・大原美術館の「受胎告知」を昔から見ていたのでなじみがある。やはり独特の絵だな
 外にはエル・グレコの家といわれている建物があるけど、本当にエル・グレコが住んでいたかどうかは怪しいらしい

 象嵌細工は色々種類があってなかなか良い。値段の幅も相当広い。これはお土産に最適だな。Hは品選びに余念が無い。次から次へと手に取って見ている。闘牛士の使う刀に象嵌細工を施したものがあるけど、日本に輸入は出来ない。ペーパーナイフで我慢しよう

象嵌細工の職人

・駆け込みでゲルニカに会えた

 マドリッドについたのは20時前、国立ソフィア王妃芸術センターのゲルニカを是非見たいのだけど、明日は日曜日で閉館。今日は21時まで開いているので、ホテルからタクシーを飛ばして芸術センターに何とか駆け込もうと、部屋に荷物をほおりこんで、Hと北海道の女の子二人の計4人で出かける。タクシーの運転手に用意したメモを渡して目的地を説明する。何とか分かってもらえたようだ。交差点のロータリーは、真中に噴水があってその周りを車が何列にもなって走っている。車線変更が激しくて、隣の車とぶつかりそうになり、思わず右足に力が入ってしまう。マドリッドで運転はやりたくないな

 芸術センターきたガイドブックに案内図が載っていると言ってくれた。助かった

 やっとゲルニカに会えました。大きな絵は防弾ガラスに邪魔もされず、壁にそのまま展示されていた。床にはロープを無造作に置いており、これより中には入らないでと示している。ガードマンは女性を含む二人が雑談をしている。あまり時間は無いけど、穏やかに見れた

 急いで他の部屋を回ることに、ピカソの他の絵、ダリ、ミロを足早に見るうちにはや21時となった。ミュージアムショップも閉まっていて、何にも買えなかったけど、ゲルニカが見れたから良かった

国立ソフィア王妃芸術センターのチケット(GRATUITA:無料)

 今日のホテルは、グランドホテル・コンデ・デュケ

 ホテルに帰ってレストランに行くと、そこではビンゴゲームの真っ最中。部屋を間違えたみたいだ。もう一度良く探してレストランにたどり着く、他のメンバはまだ食事中だった。ちょっと遅い夕食を始めることに

グランドホテル・コンデ・デュケ

7日目(マドリッド:サッカーも見るぞ)

1999年11月28日(日)

・スペインでは、街の中に犬が多い

 スペインでは、都会でも犬の散歩をしているのを良く見る。アパートの部屋で犬を飼ってもよさそうだし、犬専用の公園(柵で囲まれており、その中では綱を放して自由に走り回れる)もあって割と整備されているようだ。転勤族で、ずっと社宅暮らしの私としては、うらやましい限りだ。退職するまで、犬と一緒に暮らすことが出来そうにも無い

・プラド美術館は圧倒的な迫力:時間が無い、時間が無い

プラド美術館

 今朝はまずプラド美術館へ行く。ツアーのつらいところで時間が限られている。1時間半しかない。膨大な絵画の森に入っていく、数々の名画が所狭しと並んでいる。ほとんど「ああこの絵だ」と確認するぐらいの時間しかなくて、ゆっくり見ていられない。ベラスケス・ボッシュ・ゴヤ・ラファエロ…時間が無い、無い

 昔、ルーブルに行った時も同じだったな。こんどは個人でルーブルとプラドにもう一回来よう。

・日本のおばさんは、絵の前でフラッシュたいてる

 ゴヤのマヤの絵を見ていると、回りがピカッと光った。日本から来たおばさん(他の団体の人:我々ツアーの同僚の名誉のために念のため…)が絵の前で記念撮影して、フラッシュを光らしたみたいだ。警備員から注意されている。お願いだからそんなことはするなよ。絵の前で記念写真なんか撮るなよ。こっちまで恥ずかしくなってしまう

・緊張感溢れるスペイン広場

スペイン広場
 普通はバスを降りる時は、貴重品は持って降りろといわれるのだけど、スペイン広場では、貴重品はバスの椅子の下に見えないように置いていけ。と言われた
 カメラだけを持って、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像があるスペイン広場に行った。なんていうことない広場だけど取りあえず写真だけ撮る。広場にはパトカーもいて、少し安心。ここにいる人がみんな泥棒に見えてくる

・悪名高き地下鉄に乗って、サッカー競技場へ

 午後から自由時間

 地下鉄は危険と言う話を聞いていたので、バッグはホテルにおいて手ぶらで、パスポートもコピーだけ。地味な服で出来るだけ目立たないように、観光客らしくなく、と準備を整えて出かける

 昼間なので、地下鉄の中も別に怪しくない。途中で日本人の高校生くらいの年代の女の子が乗ってきた。男の子と一緒だ、親の仕事の都合で来ているのだろうかな。目が会うと、にっこり会釈をしてくれた、可愛いな。我が家は男の子二人なので、こんな子に出会うと、別世界を見た感じになる

マドリッドの地下鉄(丸の内線のような色)

 サッカーが終わった後も、地下鉄を利用して帰った。女性も、子供も地下鉄に乗っているし、危なそうな人がいない乗車口から、老夫婦の後について乗り、周囲のお客に注意を払いながら無事ホテルの最寄駅まで帰った

・スペインサッカーにはお巡りさんが一杯

 この日は、レアル・マドリーはビジタゲームということで、マドリッドにいない。ラジョ・バジェカーノ(ラヨ・バジェカーノと発音するのかもしれない。スペイン語は、地方によって発音が異なるようなので、よくわかりません)が、マドリッドのホームスタジアム(テレサ・リベロ:テレサはオーナーの名前。TVでスタジアムで大声で応援しているのを見たけど、相当怖そうなおばさんでした)で、アスレチック・ビルバオを迎えて試合をする

 試合開始は19時30分だけど、スタジアムに16時に着いてしまった。オフィシャルショップでサッカーグッズを買って、ショッピングセンタ(この日は日曜日なので、食べ物屋さん以外の店はお休み)のバーガーキングで時間をつぶし、19時前にスタジアムに向かう

 近くのバルではサポータが盛り上がっており、警官も沢山動員されている。騎馬警官も出ている。やっぱ緊張感あり。サポータ間のトラブルを防ぐために来ているようだ。試合の途中で、ラジョとアスレチックのサポータの間に割り込んで、人の壁を作ったこともありました

・こじんまりとしたスタジアムで一体感あり

入場券
 このスタジアムの、収容人員は15,500人で、こじんまりとしている。観客席のすぐ前がピッチで、手の届くところに選手が居ると言う感じ(帰国してから、TVでこのスタジアムの試合を見ていると、コーナキックの時にサポータが相手チーム選手に物を投げつけていた。悪い面もある)

 ゴールポストの後ろは、片側はスタンドがあるけど、反対側は看板があるだけですぐ後ろが一般のアパート。住民がベランダに椅子を出して観戦している。毎試合ただで見れてラッキーだな。試合の途中で、ボールがこの看板を超えて外に出てしまった。替わりのボールで試合を続けていると、なんと看板の向こうからそのボールが蹴り返されてきた

・ボールボーイの子供たちはピッチで遊んでいる

 ボールボーイは小学生ぐらいの年代。ハーフタイムになると控えの選手が練習しているのに混じって、ゴールにシュートをして遊んでいる。ひょっとしたら彼らは、自分たちも控えの選手だと思っているのかもしれないけれど...日本だったら考えられない

・席の周りはどうもビジターのサポータが多いぞ

 このチームは、前シーズンまで2部リーグにおり、今年1部に昇格したチームで、シーズン当初は快調だったけど、現在はちょっと陰りがあるという調子

 席の周りには、相手チームビルバオのマフラーや帽子をかぶっている人が多そうで、少し不安。だけど試合が始まれば和やかに応援しており、殺気立ってはいない。バックスタンドのビルバオサポータグループはちょっとやばそうだけど、こちらは大丈夫

・ビルバオサポータのワインは美味しい

 隣の席のお兄さんもしっかりビルバオを応援している。ビルバオがチャンスを迎えるたびに盛り上がっている。そして皮袋に入ったワインを飲んでいる。と思ったら、チョンチョンと私の肩をつつく。エット振り向くと、皮袋を渡してくれて飲めと言っているようだ。嬉しい。ここのスタジアムではアルコールは売っていない。早速いただくこととする。結構度も高くて美味しいワインだった。ありがとうお兄さん、ちょっとビルバオの応援もしてやろうかな。その後、何回も飲ませてもらった。よかった、よかった

 Hの隣には、ディカプリオ風のお兄さんが座って、Hも嬉しそう

試合風景(手前サポータの帽子はバスク風)

・スペインサッカーはやっぱり面白い

 試合は、スピードがあり、緻密且つダイナミックで、シュートシーンも多くしっかり楽しませてもらった。Jリーグも早くこのレベルになればお客も増えるのにと思う

 2対1でビルバオの勝利。ホームサポータが荒れることも無く、スタジアムを後にした

・スペイン最後の夜は、石焼ステーキで

 試合から帰って、添乗員さんに教えてもらっていた石焼ステーキの店(ビーニャ・ペー)に行く。お店ではツアーの他のメンバ(午後にセゴビアに行ってきた)が食事が終わるところだった。二人だけ残ってゆっくりと食事をとる。やわらかい石焼ステーキやソパ・デ・アホ(ニンニクスープ)やワインとかを楽しんで腹いっぱい

 23時を過ぎても、お客が次々とやってくる。シエスタのある国は、夜も元気一杯でした。(夜が元気一杯なのかな)

8日目(マドリッド→フランクフルト→)

1999年11月29日(月)

・いよいよヨーロッパとお別れ・みんなで記念写真

 マドリッド・バラハス空港から、ルフトハンザでフランクフルトまで。雪の積もったピレネー山脈が良く見える

 フランクフルトで買い物も心置きなく終わらせ、いよいよ関空行きのANAに搭乗する。その前にみんなで集合写真を撮ろうということに、全員で写るために誰かシャッターを押してくれる人が必要。歩いているお兄さん(日本人)に、シャッターをお願いすると、みんなが自分のカメラをそれぞれ出してきて、10台ぐらいのシャッターを押してもらうことになってしまった。すみませんでした、ありがとう

 帰りの飛行機は、当然行きより疲れますね。

 飛行機の中で、ツアーメンバの希望者に名前と住所を書いてもらう。後で、皆にお送りしますからね。年賀状でもやり取りしましょう

9日目(関空から松江の自宅へ)

1999年11月30日(火)

 関空でみんなとお別れ、本当にお世話になりました。楽しかったです。

 重たくなったスーツケース(一つ増えました)を引きずりながらJRに乗り、2回乗換えて松江まで。ああ普通の生活に戻ってしまった

 今日の夕食は何を食べる?カレーにでもするか

「また、行きたいね」といいながら、久しぶりのH手作りのカレーを食べていた

宍道湖夕景(島根県松江市)

Posted by walkingosamu