クロアチアの旅(2009.09)

(おまけ・・・ウィーンのクリムト)

2009年9月19日~25日の8日間でクロアチアに行ってきました

月日
行程
1日目 9月19日(土) (広島)→成田→ウィーン→ザグレブ
2日目 9月20日(日) ザグレブ→プリトヴィッツェ
3日目 9月21日(月) プリトヴィッツェ→トロギール→スプリット
4日目 9月22日(火) スプリット→コルチュラ
5日目 9月23日(水) コルチュラ→ドブロヴニク
6日目 9月24日(木) ドブロヴニク
7日目 9月25日(金)~26日(土) ドブロヴニク→ウィーン→成田→羽田→広島

ザグレブに到着

2009年9月19日(土)

成田→ウィーン→ザグレブ

今回は、ユーラシア旅行社の「クロアチア探訪の旅8日間」に参加しました
 
「バルト三国とサンクト・ペテルブルグ」に参加したかったのですが、残念ながら人数が集まらなくて、催行中止になりました

 広島から羽田経由で前夜に成田に入り、10時55分発のオーストリア航空52便でまずはウィーンまで
 新型インフルエンザ予防のため、搭乗したらすぐにマスク着用

 ウィーン空港に15時55分着
 ここで19時30分発のザグレブ行きクロアチア航空443便に乗り換えます。乗り換え時間が約3時間30分あるため、一旦入国手続きをして空港ビル内で時間を過ごします。空港ビル内では無料の無線LAN環境があって持参したノートパソコンでインターネットを楽しみました

ウィーン空港の搭乗口でバスを待っています
 夕陽が西の空に沈んでいく

日没後のウィーン国際空港

 あのボンバルディアです
  首都から首都に行く飛行機にしては、お客さんが少ない 

ザグレブ国際空港に着きました
 それにしても静か
 空港内の銀行窓口両替は、21時まで
 両替が出来なかった人も沢山おられました。当方はATMを利用したので、クロアチアクーナを入手できました
 1クーナは約20円
 今夜は、バスでホテルに向かうだけです

ザグレブの旧市街を見てプリトヴィッツェ湖群国立公園へ

2009年9月20日(日

ザグレブ→Turanj→Rastoke→プリトヴィッツェ湖群国立公園

宿泊したPALACE HOTEL
 アールヌーボー調のクラシックなホテル
 HPはhttps://palace.hr/en/

ホテルロビー天井のステンドグラス

 ホテルの前をトラムが走っています
 左奥がザグレブ中央鉄道駅

ザグレブ中央鉄道駅
 オリエント急行も通ったそうです
 小銭が無かったため、駅の売店で7.5クーナのミネラルウォータを200クーナ紙幣で買わざるをえませんでした。売店のおかあさん、申し訳ありませんでした

構内には、SLが保存展示
 1891年ハンガリー製です。この時期はクロアチアはオーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれていました 

大喜びで鳩に餌をあげている女の子

青空市場から見た聖母被昇天大聖堂
 砂岩で出来ている建物なので、補修工事が続いているようです
 ここの青空市場内にあるお店で、民族衣装を購入しました
 お店のおばちゃんと「旅の指さし会話帳:クロアチア」を使って値段交渉をしたのですが、おばちゃんはすごく楽しんでくれました

大聖堂の南側にあった公衆トイレ(無料)
 とても清潔でした
 女性用は、便座シートが自動的に出てくるそうです

石の門
 この中に火災のとき焼けなかった「聖母マリアのイコン」があります

聖母マリアのイコン
 礼拝所になっています

聖マルコ教会
 屋根の模様が綺麗です 

右側は、ザグレブ市の市章

左側は
(左上)中世クロアチア王国の紋章
(右上)ダルマチアの紋章(3頭のライオン)
(下)スラヴォニアの紋章(星・テン・サヴァ川)

聖マルコ教会の左側には、大統領官邸 
 反対側は、国会議事堂があります
 警備は大丈夫なのでしょうかね?

ケーブルカー
 新市街と旧市街を結んでいます
 乗車時間は55秒で4クーナ(80円) 

ケーブルカー駅の横からは、新市街がよく見渡せます

昼食をとったビアレストラン(黄金の熊という名前)
 ビールのタンクを熊が守っています

レストランで食べた、ザグレブ風カツレツ
 ウィーン風カツレツに似ていました

クロアチア内戦の傷跡が残る村(Turanj村)

民家の壁には未だに銃弾の跡が残っている
 内戦が終結したのは1995年。今からたったの14年前です

 内戦中の写真です:   
  http://www.pbase.com/zidar/image/67943646

ブルドーザーで作った戦車等も展示してありました

山の中の桃源郷のような村(Rastoke村)

 可愛らしい素敵な滝がありました

プリトヴィッツェ湖群国立公園からトロギールへ

2009年9月21日(月)

プリトヴィッツエで宿泊したJEZERO HOTEL 
 HPhttps://np-plitvicka-jezera.hr/en/plan-your-visit/hotels-and-camps/hotel-jezero/

JEZERO HOTELの支配人だそうです

ホテルの裏にはすぐプリトヴィッツェ湖があります
 木の間から湖面に映る太陽が輝いている

案内図
 オリンパス提供ですので、日本語表記もあります

全部で16の湖がある
 上流の湖から下っていきます
 水は透き通ってきれい。水鳥も気持ち良く泳いでいる

幾筋も水が湧き出てきている

マイナスイオンが一杯
 このような滝が次から次へと現れてきます

倒木もオブジェのよう

紅葉がだんだん進んできています

電動遊覧船で対岸に渡ります

ロッジの中では、昼食の準備中
 鶏が整列しています

遊歩道の脇を早瀬が流れています
 だんだん下流の湖に近づいています

様々な風景が次から次へと

犬も景色を楽しんでいる?
 というよりも、水をおいしそうに飲んでいました

大滝
 78mの高さがありますが、少し水量が不足気味

プリトヴィッツェ湖群事件の記念碑(ポールの左側に見えます) 
 1991年3月に、ここでクロアチア紛争での最初の武力衝突(クロアチアとセルビア)があった
 湖群もこの紛争の間は、世界遺産の危機遺産となり、1997年に危機遺産リストから除外された

トロギールへ

ザグレブとスプリットを結ぶ高速道路
 あまり車が走っていません
 このあたりの山には木々が無く、寒々とした風景です

アドレア海の入り江が見えてきました

トロギールへの石橋
 この橋でトロギールに渡ります

トロギールの北門(陸の門) 
 街の守護神(イヴァン・ウルスィニ)が立っています
 この門はかつては日没になると閉ざされて、住民も入れなかったようです
 防御は徹底して行われていた

聖ロヴロ大聖堂
 トロギールの空にそびえています

聖堂の門
 ヴェネチアのシンボルのライオンの上に、イヴが立っています
 右側の柱には、アダムが

路地には、洗濯物が干されています

こちらは南門

デヴォ橋
 南側にあるテヴォ島に渡る橋

カメルレンゴの砦

カメルレンゴの砦から見た、トロギールの街

こんな乗り物で対岸に渡っている人がいました
人力です

西の海に夕陽が沈んでいきます

スプリット→ストン→コルチュラ

2009年9月22日(火)

スプリットで宿泊したDALMINA HOTEL
 周りは工場地帯といった感じ

旧市街「ディオクレティアヌス宮殿」の南門(青銅の門)
 かつてはこの手前まで海で、ここから船に乗った

宮殿入口

宮殿内部
 中世にはこの上に一般住居が構築されており、天井にそこに住んでいる人がゴミを捨てるための穴が開いている

宮殿建立当時の図
 右下の門が青銅の門。すぐ海です

玄関広間でアカペラの男声コーラス
 素晴らしい歌声です

皇帝住居の玄関
 ディオクレティアヌス皇帝は、奴隷の出身だったが3世紀の終わりに皇帝にまで登り詰めたけど、4世紀初頭に自ら引退し、スプリットに宮殿を建て移り住んだ

ディオクレティアヌス皇帝時代のローマ帝国領土
 地中海沿岸全てやイギリス・アイルランドも

玄関前広場にあるルクソールという名前のレストラン
 エジプトにちなんだものも色々あります

鐘楼                   
 一番上まで登りました      
 入場料は10クーナ(200円)

鐘楼内部の階段
 結構スリルがあります

鐘楼からの眺め
 北方面

西方面

南方面
 アドリア海の色々な島へ向かう船が発着している

東方面
 手前は、大聖堂の屋根

大聖堂と鐘楼
 大聖堂は元々ディオクレティアヌスの霊廟として建てられたもの
 ディオクレティアヌスは、キリスト教を迫害してきたが、ローマ帝国はその後キリスト教を公認し、この建物もキリスト教の大聖堂として改築された
 ディオクレティアヌスの棺はどこに行ったか不明とのことらしい

金の門(北門)

西門(鉄の門)

東門(鉄の門)

青空市場
 東門の外にあります

青空市場には花屋さんが沢山

スプリットでのガイドのマリアさん 
 スプリットには美しい方が沢山います
 この街はミスユニバースの常連だとも・・・

海岸通りでアコーディオンを弾いているおじいさん
 肩にも頭の上にも鳩がとまっています
 映画「メリーポピンズ」の「2ペンスを鳩に(Feed the Birds)」のシーンを思い出しました

海岸通りでは、UEFAのイベントも
 優勝カップのキャラバンをやっているようです

POLJUDサッカースタジアム

 スプリットからアドリア海を南下すると、ボスニア・ヘレツェゴヴィナに一旦入国します
 入国審査はありません

ボスニア・ヘレツェゴヴィナの街(ネウム)のスーパーマーケット
 クロアチアより安いので買い物に国境を越えてくるそうです 
 ただ、品数は少なかった

再びクロアチアに入国

ストン

ペリェシャツ半島の途中にあるストンの街
 昔から塩田で栄えた町です

ストンの街は長城で守られている
 14世紀にドブロヴニクによって造られました

現在も塩田で塩を作っています

コルチュラ

オレビッツの港
 ここからコルチュラ島へフェリーで渡ります

オレビッツの砂浜
 水がきれいに透き通っています
 アドリア海は、潮の香りがあまりしません
 日本のように海藻が海岸に流れ着いているという風景が無く、そのため潮の香りがしないということのようです
 海中にも海藻が少なく、魚にとっては少し住みにくい海のようです

ウニは沢山います

このフェリーで島に渡ります

我々のバスも乗り込みます
 フェリーは波止場の先端に直角にとめているので、大型車はハンドル操作が大変

コルチュラ島が近づいてきます
 聖マルコ大聖堂の塔が見えてきました

いよいよ上陸です

ホテル(HOTEL LIBURNA)から見たコルチュラ旧市街

コルチュラからドブロヴニクへ

2009年9月23日(水)

翌朝バスで旧市街へ 

道が狭いので、大型車は擦れ違いが難しい
 それにしてもこのおじさん達は全然車をバックさせようとはしませんでした。意地でも自分の車はバックさせないという意気込みのよう

コルチュラの旧市街を南方面から

コルチュラ旧市街の南門(陸の門)

門をくぐると細い路地が
 これがメインストリートです
 旧市街には、南北に延びる道はこの一本のみ
 冬の寒い北風(ブラ)対策です

東西に延びる道は沢山あります
 夏の涼しい西風(マエストラル)を取り入れるため

聖マルコ大聖堂
 ベニスが統治した所には、どこでも聖マルコ広場と聖マルコ大聖堂があるのかな

大聖堂入り口の飾り

 アダムとイヴ(それにしても、もっと他の姿勢があったのでは?)

マルコポーロの生家
 一階には、マルコポーロ関連のお土産屋さんがありました

               

アドレア海クルーズ
 小さな遊覧船でしたが、旧市街を海から見ることが出来ました
 それにしても水がきれい

この近くにヌーディストビーチがありました
 旅行のメンバーの一言
 「メタボのアダムとイヴは見たくないよね」
ということで写真は撮りませんでした

ラキヤ
 船長さんがふるまってくれました
 蒸留酒にハーブを入れたもので、アルコール度は相当高いです

宿泊した、ホテル リブルナ

旧市街の北端にある要塞

こんな船でクルージングをしたいですね

西門(海の門)

チュカリン
 ホームメイドのお菓子を売っているお店
 このお母さんが、お店が日本の雑誌にもとりあげられていると、皆に雑誌を披露していました

今日の昼食は、シーフードパスタ

帰りのフェリーがやってきました

コルチュラ島からお別れです

コルチュラ島(奥の一番大きな島です)

運転手のベルナルドさん
 ツアー中、全て運転してくれました
 クロアチア内戦の時にも従軍(ロジスティクス担当)したそうです

ドブロヴニクへの入り口
フラニョ・トゥジマン(クロアチア初代大統領)橋を渡って入ります
 橋の先には新市街。豪華客船が何隻も停泊しています

宿泊したホテル(ドブロヴニク・パレスホテル)の自室から見た夕陽
 この日は秋分の日。こちらが真西で、アドレア海の対岸はイタリア

次の日にホテルの海岸で泳ぎました
 岩場なので、鉄梯子を使って海に降りて行きます。 岩には海藻が付いていないので、滑らなくて安心、また貝も付いていないので、足を切る心配もありません
 水は冷たいので、海で泳いだ後は海岸にあるホテルのプールで温まりました

夜のトブロブニク旧市街 プラツア通り

 最高の雰囲気です

 ホテルからバス(10クーナ:200円)に乗って、約15分で着きます

ルジャ広場の鐘楼(1444年建立)

聖ヴラホ教会(1715年建立)
 聖ヴラホはドブロヴニクの守護聖人
 ステンドグラスが美しい

街の中では、猫がまったりと歩いている
 クロアチアでは、猫はよく見ますが、犬はあまり見ません
 ダルマチア地方はダルメシアンの原産地ですけど、旅行中にダルメシアンは一度も見ませんでした

アクア・マリタイム店内
 Tシャツ・ワンピースを購入

ピレ門(西の門)
 この近くにバス停があり、ここから旧市街に入っていきました

ドブロヴニク

今日は一日 ドブロヴニク

2009年9月24日(木)

トブロブニク旧市街

 「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニク

 城壁に囲まれ、中世の都市がそのまま残っています
 一番楽しみにしていた都市だけど、期待にたがわず素晴らしい街でした

 中世には交易で財をなし、周りをオスマン・トルコに取り囲まれながらも、外交と献納金により市民国家として独立を守り続けることが出来た

 1991年のクロアチア独立戦争の時には、旧ユーゴスラビア軍がスルジ山から大量の砲撃を行い、多大な破壊を受けたようだけど、しっかり修復されている。この美しい街にためらいもなく砲弾を撃ち込む、戦争というものの愚かさを再確認する

朝のロヴリィエナッツ要塞
 街の南西を守っている

朝の聖ヴラホ教会

総督邸 
 総督の任期は1カ月、その間はこの建物から外出することもなく、家族とも会わず執務に専念していた
 独裁と汚職を防ぎ清廉さを実現していたようだ

総督執務室の入口
 門の上には、ラテン語で「滅私奉公」と刻まれている

大聖堂
 修復工事中です

民族衣装を着て刺繍を作っています
写真を撮るのにチップが必要でした

ドミニコ修道院

昼食のムール貝
 これは美味しいかったです

魚とポレンタ
 ポレンタとはトウモロコシの粉から作られているものですが、あまり美味しいというようなものでは無かったです

昼食後に、旧港からクルーズに出ました

海から見た城壁
 これでは登ることが出来ないですね                 

パラセーリングをしている人もいます

大きな洞窟もあります

旧港に帰ってきました
 クルージングでは、ロクルム島も回ってきましたが、この島にもヌーディストビーチがあります

プロチェ門
 東側の門です

メデゥーサ
 お土産を購入中

このような路地が沢山あります

城壁の上から見たドブロブニク

北側の城壁の上から見た路地

城壁の内側には畑もあります

プラツァ通り
 左側の塔は、フランシスコ会修道院。この中に1391年に開業したヨーロッパで3番目に古い薬局が営業を続けています

ボカール要塞

聖ピータの砦
 向こうの島がロクルム島

このバスでホテル(ドブロヴニク・パレスホテル)に一旦帰りました
 行き先表示は、パレスホテル(H.Palace)となっていて、ホテルが終点です
 途中のバス停で降りる人も多く、出発時は超満員でした

パレスホテルを19時に出発
 今回はホテルのシャトルバスを利用

今晩もピレ門を入っていきます
 この時間には門番の人が門の両側に立っていました

夜のプラツァ通り(二晩目です)

夕食はロカンダ・ペスカリア
 旅行最後の夜なので、気の合ったツアーメンバと旧港にあるこのシーフードレストランで夕食をとることに
 生ガキは日本と違って身が薄いですが、美味しかったです
 日本語メニューもあって注文しやすい
 支払いはユーロでOK

ウィーンでクリムトを駆け足で見て帰国

ドブロヴニク→ウィーン→成田→羽田→広島

2009年9月25・26日(金・土)

ドブロヴニク空港
 ホテルを朝5時30分に出発して、この飛行機でウィーンに向かいます

ドブロブニクの上空を飛んでいきます

ベルヴェデーレ宮殿のクリムトを見るためダッシュ
 ウィーンでの乗り継ぎ時間(5時間)を利用して、一時ツアーから離脱の許可をいただいて(念書を書きました)タクシーでベルヴェデーレ宮殿に向かいます 
 タクシーのルームミラーに料金が表示されている
 空港から25分(36ユーロ)で宮殿に到着

ベルヴェデーレ宮殿
 以前にウィーンに来た時に、時間が無くて見れなかったクリムトを見ることが出来ました
 他にも良い絵画が沢山あって、無理してきてよかった

ベルヴェデーレのフロア案内図

急いで、空港まで戻ってツアーの皆と合流

成田行きのオーストリア航空51便で成田へ帰りました 

Posted by walkingosamu